NHKのBS歴史館「英雄たちの選択」でおなじみの磯田道史さんの本を読みました。
磯田さんは1970年生まれの47歳、新進気鋭の若手研究者です。
前にテレビで岩手県の普代村の普代水門と防潮堤を作って村を救った和村村長のことを
扱っていたので、そのことと、安政地震津波のことがわかればいいなと思って買いました。
ところが、・・・

思わぬことが載っていました。
私の実家の西伊豆町のことが載っていたのです。
そういえば、この話も、英雄たちの選択の時にやっていました。
それは、安政地震津波のはるか昔の明応地震津波に関することでした。
下の地図は、国土地理院の地形図に、私が書き込んで作成したものですが、
西伊豆町の沢田という港町の中に佐波(さわ)神社という古い神社があります。
その神社が今から約400年前の江戸時代の初め、1605年の慶長地震津波で
被害を受け、建て直したとき、
願栄という僧侶が、再建記念の棟札に以下のようなことを書いたそうです。
「戊午(つちのえうま)(1498)年の津波は寺川の大堰まで。
またその後九十九年して甲辰(きのえたつ)(1605)年十二月十六日には、
垣の内の横縄手まで(津波が)入った。末世にその心得がありますように。」
1498年の津波とは、明応の津波と呼ばれ、千年に一度といわれる
東日本大震災クラスの大津波です。
下の地図にあるように、海から2キロの西伊豆町の平野の最深部まで達しています。
1605年の津波は、慶長地震津波といって、100年に一度ずつ
繰り返されてきた津波です。
磯田氏によれば、この津波は垣の内の横縄手、海から1.4キロの地点だそうですが、
残念ながら現在のどこに当たるのか私にはわかりませんでした。

そして、現在よりも当時の地形に近い明治32年発行の国土地理院の
地図(抜粋)が下です。
今よりだいぶ人家が少なくて田んぼが多く、山際に建っている家が多いですが、
これに明応地震津波の浸水域を色塗りしてみると、・・・

こうなってしまいました。
西伊豆町が、ほぼ、水没してます。
これでは海岸近くの家にいた人は、ほとんど助からなかったでしょう。
山の近くの人は、山に逃げて助かったかもしれません。
500年前に、6年前に東北で起こったような恐ろしいことが起こっていたんですね。
400年前の浸水域はどんなだったんだろう・・・。
また調べてみよう。