身延山久遠寺探訪

今回は、やはり今まで行ったことがなかったところ、身延山久遠寺です。
西富士道路を通って、富士宮まで行き、そこから西へ折れ、芝川町へ向かいます。
そこから富士川沿いを北上して、身延山まで行きました。
往復で174Kmでした。

芝川町から北上すると、山梨県南部町に入ります。
身延山は山梨県だったんだ。(笑)
静岡みたいな気がしていたけど。

途中、富士川に沿って北上します。
こんな気持ちのよい風景が続いています。

こんな橋が何本もかかっています。

対岸の道路は諏訪湖へ向かう52号線だったかな。
昔、サファリで行きました。

身延駅にたどり着き、富士川を身延橋で渡って、ようやく久遠寺にたどり着きました。
入口の門があった、と思ったら、車が通っていく!
えっ、いいの?
ここ入口じゃないの?

とおもったら、寺域がほとんど山全部くらい広くて、途中にはず〜と道路が通っていて、普通の民家や店屋もありました。
ようやく山門にたどり着いたのは、かなりたってからでした。
カワサキのエストレヤが1台駐めてありました。
そのとなりに駐めます。
バイクは駐車料金が要りません。
便利です。

山門がまたでかい。
知恩院と同じくらいあるんじゃないのかなあ。

入口にあった地図です。
身延山のほとんど山全体が寺域です。
すごい広さ。

山門をくぐってすぐに度肝を抜かれました。
参道の杉の木。

直径1m以上はありそうな杉並木です。

奥の方には2mを越えそうなのもあります。
ものすごい歴史を感じます。

本堂までの階段です。
どうだ、登れるかい?
と言わんばかりの傾斜と、石段の数です。
もちろん、登りますよ〜。(笑)

とはいっても、ものすごい傾斜なので、手すりにつかまって登りました。
上から降りてくる人も、みんな手すりにつかまってきます。
途中に3段くらい踊り場があって、そこで下りの人たちをやり過ごします。
といっても、そうしなければとっても続けて登れません。
もう、息がハーハーです。

ようやく上までたどり着いたときには、ありがたいことに横にベンチが置いてあって、しばらく座り込んで休みました。
上から見てみると、やっぱりすごい傾斜です。
帰りには違うゆるやかな道を降りよう。(笑)

階段を上がるとすぐ本殿が見えました。

まだ新しい建物です。
明治の初め頃に焼けて、昭和の頃から立て始め、平成になって完成したらしいです。

五重塔も最近の建立らしいです。

この鐘楼は古そうです。
すごい重厚な作りです。

ここは祖師堂。
日蓮聖人を奉っているらしいです。
建物は新しいですね。

そのとなりには、御真骨堂という日蓮聖人の遺骨を納めたらしい建物がありました。

そしてロープウエイに乗って、奥の院、思親閣まで上ってみました。
歩くと2時間半の道のりを、7分で上がってしまいます。
ちょっと高いけど、便利です。
ゴンドラの窓から見たら、途中の山道には、野生のシカがいました。
山頂の展望台です。

ここの食堂で身延そばをいただいたのですが、そこからの眺めが素晴らしかった。
遠く流れ去る富士川の流れです
東山魁夷の絵のようです。。

身延の町並みや橋が見えます。

思親閣にも行ってみました。

日蓮聖人は、この山に住んでいたとき、まだ、寺はなく、仮の庵に住んでいたらしいのですが、
その庵から毎日この山頂に登り、両親の住んでいた房州の方を向いて、
お祈りをしていたのだそうです。
親孝行だったのですね。
思親閣という建物は、そうしたことから後に造られた建物だそうです。

そして、ここにもありました。
日蓮聖人お手植えの杉。
お堂の後ろにある杉です。
やはり直径は2m近くあります。

階段の下にも1本。

その右側にも1本。
ほんとに日蓮さんが植えたものなら、
700年くらい前の杉だそうです。
屋久島の縄文杉は、3000年以上。幹周16mだから、直径は5mくらいか。
だけど、屋久島は温暖で雨が多い。
この辺りの冬の厳しい寒さを考えると、700年でこのくらいもありえるかなあ。
ほんとの所は年輪を数えてみなけりゃわからないですよね。
そりゃ野暮な話です。(笑)
帰りはまたお守りを買って、
行きと同じ道を、のんびり帰りました。