志下海岸の浸食

8月2日の朝の志下海岸です。夏の朝はホントに気持ちいいですね。

だけど、このごろちょっと気になることがあります。砂浜の砂です。
これは志下海岸から北の方、島郷海岸を見たところです。北の方へ行くほど、砂浜がやせて細くなっています。

ここは、ほぼ志下海岸と島郷海岸の境のへんです。境といっても、線があるわけではありませんが。この辺までは砂浜がけっこう広い。ところが、

島郷の御用邸に近づくほど砂幅の幅が狭くなっていきます。そして、

御用邸の前から伸びている突堤の前まで来ると、満潮の時には写真のように幅数メートルしかありません。

もともと、突堤ができる前までは、この御用邸の防波堤は、もっと低くて、その足下まで波が押し寄せていました。
もし、突堤が作られなかったら、図で表すとこうなっていただろうと思います。

ところが、今は突堤の北側には厚く砂が堆積し、草まで生えています。

突堤の南側は、このように波が押し寄せて満潮時には砂浜は全く見られません。ところが、

反対側の北側は、突堤の先端近くまで砂浜になっています。これはどうしたことでしょう?

これは、突堤の先端部から御用邸のある陸地側を見たところです。北側が砂に埋もれているのに対し、
南側は浸食されてほとんど砂浜がないことが分かります。これを図で描くとこうなります。

牛伏海岸と島郷海岸および志下海岸の砂は、主に狩野川からの砂が堆積してできているものと
推測されるのですが、その砂は主に北から南への海流によって運ばれています。
その海流が、御用邸前の突堤によって、さえぎられているように思われるのです。

一番北側の突堤と、2番目の突堤では、そんなに顕著ではありませんが、一番南側の突堤は、先端部に三日月型の
堤防が付属していることから、完全に砂の流される進路を塞いでいるようなのです。
その結果、狩野川から流れてきた砂は、一番南側の突堤の北側でストップしてしまい、島郷海岸には流れてきていないようなのです。
もともと、これらの突堤ができる前は、御用邸のすぐ外側の堤防は、打ち寄せる波に洗われていました。
満潮時には、護岸のために設置された平らな消波ブロックの上を歩かなければ、牛伏海岸に行けないような状況でした。
ところが、突堤ができてからは、御用邸の前には厚く砂が堆積し、堤防から20m以上砂浜に変わっています。
御用邸の前の砂浜を復活するという計画なら、大成功でしょう。
しかし、島郷海岸の海の家のあるあたりは、満潮時には堤防からわずか数mしか砂浜がなくなってしまったのです。
これはちょっとまずいのではないでしょうか。

突堤の北側、御用邸側は、草が生えている緑の砂浜、そして反対側の南側は、・・・

こんなに狭い砂浜です。やはりまずいですよね。

これを解決するには、一番南側の突堤を何とかしなければなりません。
なくすことはないと思いますが、少なくとも突堤の南側まで砂が供給され、海水浴場の砂が十分に確保されるという状況に戻した方がいいのではないでしょうか、と思うのですが、皆さん、どう思います?

そのためのヒントは、古くからある志下の桟橋にありました。

この桟橋は、老朽化して今は使われなくなって、まん中へんは崩落してしまい、立ち入り禁止になっているのですが、
この桟橋の下は、自由に海の水が行き来するので、下の写真の様に、北側と南側に全く砂浜の変化はありません。
海岸線に地形にほとんど影響を与えていないのです。これを使うことはできないでしょうか?

つまり、一番南側の突堤の半分から先を、桟橋型に替えるのです。そうすると、その下を潮が流れて、下の図のようになるのではないでしょうか。

この意見は、どこに言ったらいいのでしょう?海岸の堤防は国土交通省?それとも御用邸を管理する沼津市?
難しいなあ。(笑)